悔いのない馬券を

競馬予想の思考過程の備忘録として

ウィナーズサークル死す

平成元年のダービー馬、ウィナーズサークルが死んだというニュースを見てまず驚いたのは、まだ生きていたという事実にだった。30歳だから大往生だろう。

あの時のダービーは現地で見ていて、大外から3着に突っ込んできたサーペンアップの脚に驚いたものだった。冷静に振り返れば、あそこで勝てる可能性が一番高いのはウィナーズサークルとしか思えないのに、たしか騎乗停止中だった岡部が「一番乗ってみたいのはロングシンホニー」なんてスポーツ新聞のコラムに書いたこともあり、同馬が1番人気に祭り上げられたのだった。2番人気が柴田政人マイネルブレーブ。僕はその頃「ジリ脚」という言葉を覚えたばかりで、2着の多いウィナーズサークルのことを侮って馬券は取れなかった。しかしいい名前だった。