悔いのない馬券を

競馬予想の思考過程の備忘録として

昭和64年/平成元年1月の中央競馬

今日の玉音放送は視聴してないけど、崩御前後の自粛ムードについて国民の経済生活を心配するような言及が陛下からなされたと伝え聞く。今の40代から上の年代は、昭和から平成にかけての空気はよく覚えているだろう。当時はまさにバブル期で、多少の自粛も景気に大打撃とはならなかったが、ここ数年のうちにあのようなことになれば、経済に対するマイナスの効果は大変な規模になるに違いない。その辺りに思いをいたすことのできる天皇とは、まさに経済第一の国民統合の象徴であろう。

さて、昭和天皇崩御したのは1989年1月7日。当時の中央競馬は、年明け最初の開催日が曜日にかかわらず1月5日に固定されていた。したがって昭和64年1月5日の金杯をはじめとするレースは通常通り行われた。中山競馬場での日刊スポーツ賞金杯武藤善則(現調教師)がニシノミラ—で重賞初勝利を挙げ、京都競馬場でのスポニチ金杯松永幹夫が騎乗したカツトクシンが勝っている。

1月7日は土曜日だったが、天皇崩御を受けて中央競馬は翌日を含めた2日間が開催中止となり、その分が翌週とその次の週の金曜日に振り替えられた。もともと成人の日の振替休日になる月曜を含めた3日間開催の予定だったので、ただでさえ金杯の週は調整が難しいとされるのに、13,14,15,16の連続4日間開催の後、3日空けて20,21,22の3日連続開催という、かなりの変則スケジュールとなってしまった。これで調子を狂わされた人も馬も多くて大荒れになって高配当続出……と記憶しているが、実際のところ配当金の平均はどうだったのだろう。今ではnetkeibaで簡単に調べられるのだが、そこまではしない。13日の金曜日、中山メインのガーネットステークスで、岡部騎乗の1番人気タイガールイスが勝ったものの、2着には約2年ぶりの出走だった郷原のベルベットグローブ9番人気が突っ込んできて枠連4350円。この馬券をビギナーズラックで当てた。これに味をしめて、結果として生涯収入を2〜3億ほど下げることになってしまったのは我が生涯の大きな汚点だ(笑)。

そうやって道を踏み外す若者が今後出てくることがないように、天皇の代替わりに伴って生ずる諸々は慎重に行うべきだろう。そういう意味でも今日の玉音放送は意義深いものだった。